稲垣えみ子「老後は成果主義の価値観より、単なる趣味こそが人生を支える」
取材のテーマは「老後に趣味を持つ大切さ」。実はそのようなことは考えたことがなかったのだ。私が感じているのはどちらかといえば「老後に趣味を持つことの笑っちゃうほどの無意味さ」であり、しかし、その無意味さの中にこそ一筋の光があるに違いないという「願望」に我が人生をかけているのである。
なので「ピアノを習いたい人にオススメの曲は」とか「先生の見つけ方は」とか聞かれても、何が正解なのか私自身知らないのだ。知らないから夢中になっているのである。
そんなこんなでどうも話が噛(か)みあわず、なぜそこにこだわるのかを改めて聞くと、子育てが一段落して「やりたいこと」が見つけられない50代女性が多いのでエールを送る記事を書きたいのだと。なるほどそれで食い下がってこられたのですね。しかし、そうですか。やりたいことをやらず一生を終えることに恐怖を感じて会社を辞めた身からすると意外な悩みである。
でも言われてみれば、確かに私も身に覚えがないわけじゃない。仕事にせよ子育てにせよ「誰かに求められている」ことは生きがいに繋(つな)がる。現役を退けばたちまちそれを失うわけで、自分は誰からも求められていないとなれば、何のために生きているのかということになってしまう。
確かに私も会社を辞めるときは底知れぬ不安があったのだ。そこを何とかくぐり抜けた私に言えることがあるとすれば、そこを「悩むこと」そのものが第二の人生の醍醐(だいご)味ではないだろうか。
肝心なのは悩みまくること。安易な答えに飛びついてはいけない。例えばピアノを習いメキメキ上達して発表会に出て「すごーい」と言われることをゴールになどしてはいけない。そのような成果主義は「第一の人生」の価値観である。下り坂を行くものがその価値観のままでいては敗北と恐怖の人生となろう。その圧倒的現実と向きあった先に、単なる趣味が人生を支える豊かな泉となる。